良心の呵責?
どうも、クリスマスの頃というのは、募金を頼みやすい時期らしい。街中は、恵みの雰囲気につつまれ、お財布の紐もついゆるみがち。 救世軍の社会鍋もこの時期の風物詩。
いえ、決して、この他人に恵むという行為にケチをつけてるワケではない。私のクリスチャンの考えからすれば、この、自分の持っているものを分け与えるという行為は、確かに美しい。
だが、たとえば、料理中とか、子供の宿題を見てる時とか、唯でさえ忙しい時間に、勝手に頼みもしないのに電話をかけてきて、やれ、○×団体に募金をお願いしますとこられると、ついつい、不機嫌になってしまう私。
特に、今年は、大きな出費がかさみ、おまけにダンナも仕事変えにより、ちょっと給料がさがったので、我が家は不景気ぎみ。
”今年はカンベンしていただきたい”、と丁寧に断ると、なんと、いくらなら払えるのか、1ドル、5ドル、10ドルから払うこともできると来る。私の拒否の言葉のどこが、分からないというのだ???
ちょっと、頭に来て、もう絶対電話はしてくるなと怒ってしまった。おまけに、そちらの○×団体の名前はしっかり覚えたから、これ以後、ぜったい寄付はお断り、とまで、きっぱり、捨て台詞。
このやり取りをきいているダンナが思わず、ふき出している。なになに、私の怒りようが、アメリカンナイズされていると???ちょっとー、まだ、怒ってるんだからねー。
さて、イタリアのジプシーの物乞いについて、Kiraさんが12月20日付けの記事で書いていたが、同じようなことが、私にも起こった。
私は、普段、現金は持ち歩かない。ひどい時は10歳の娘の方が現金を私より持っていて、現金が必要なときは、貸してくれることもあるほど。99%の買い物は、カードで支払う。
さて、昨日、ガソリンスタンドで給油中、例のごとく、ポンプでカードの支払いをしていた時、近くに止まっていた車から、男性が歩いてくるのが、眼の端っこで見えた。
くたびれたシャツと汚れたパンツ。形を失ってしまったベースボールハット。私の隣にきて、ガソリンを車に入れるのに、1ドル、くれと言う。
この1ドル、というのが、やっかいだ。1ガロンが2ドル以上する今、1ドルでは半ガロンしか買えないではないか。あるいは、遠慮して1ドルと言えば、5ドルくらい恵んでもらえるとでも、思っているのだろうか?
なぜ、1ドルなのだろう?相手の心境がうまく、捕らえられない。あせりだす自分がよくわかる。
とっさに、今、自分には現金の持ち合わせがないというと、男は眼をふせながら、歩き出した。まだ、心臓がドキドキしている。 私のお財布はどこだったかしらなんて、あたふたしながら、確認している。
娘がこのやり取りを車の中から見ていた。ガソリンの給油中、ドアはロックされたままだった。
そんなことはないと笑う人もいるだろう、だけど、ここはアメリカ。交差点で止まってるだけで、カージャックの被害者にもなりかねない国。もし、その男がロックされてないドアに手を伸ばし、娘を引っ張り出したら、どういうことになっていただろう?
他の人からお金をもらったのだろうか、男が、少し離れたポンプで給油を始めた。一方、私は給油を終え、車に入り、エンジンをかけながら、ドアにロックをかけた。 近くを通りすぎた時、男がうつろな目で私たちの車を見ていた。
昔、住んでいた柄の悪い地域では、食料品店の外でたむろしているホームレスがいて、いっつも、金をくれとせがまれた。
彼らは食べる物がないといいながら、ビールの缶があたりに散乱していたりして、ビールを飲むお金があっても、食料を買うお金がないというのだろうか?
この、男性にどういう意図があったか、はかりしれない。でも、ウチでは、ウチの金銭事情だけで精一杯というのも、真実だ。神様も、ウチの事情は分かってくれるだろうと、信じたい。
車の中で、娘とこの事件について語りながら、しばし、良心の呵責を感じたのは、なぜだろう。
いえ、決して、この他人に恵むという行為にケチをつけてるワケではない。私のクリスチャンの考えからすれば、この、自分の持っているものを分け与えるという行為は、確かに美しい。
だが、たとえば、料理中とか、子供の宿題を見てる時とか、唯でさえ忙しい時間に、勝手に頼みもしないのに電話をかけてきて、やれ、○×団体に募金をお願いしますとこられると、ついつい、不機嫌になってしまう私。
特に、今年は、大きな出費がかさみ、おまけにダンナも仕事変えにより、ちょっと給料がさがったので、我が家は不景気ぎみ。
”今年はカンベンしていただきたい”、と丁寧に断ると、なんと、いくらなら払えるのか、1ドル、5ドル、10ドルから払うこともできると来る。私の拒否の言葉のどこが、分からないというのだ???
ちょっと、頭に来て、もう絶対電話はしてくるなと怒ってしまった。おまけに、そちらの○×団体の名前はしっかり覚えたから、これ以後、ぜったい寄付はお断り、とまで、きっぱり、捨て台詞。
このやり取りをきいているダンナが思わず、ふき出している。なになに、私の怒りようが、アメリカンナイズされていると???ちょっとー、まだ、怒ってるんだからねー。
さて、イタリアのジプシーの物乞いについて、Kiraさんが12月20日付けの記事で書いていたが、同じようなことが、私にも起こった。
私は、普段、現金は持ち歩かない。ひどい時は10歳の娘の方が現金を私より持っていて、現金が必要なときは、貸してくれることもあるほど。99%の買い物は、カードで支払う。
さて、昨日、ガソリンスタンドで給油中、例のごとく、ポンプでカードの支払いをしていた時、近くに止まっていた車から、男性が歩いてくるのが、眼の端っこで見えた。
くたびれたシャツと汚れたパンツ。形を失ってしまったベースボールハット。私の隣にきて、ガソリンを車に入れるのに、1ドル、くれと言う。
この1ドル、というのが、やっかいだ。1ガロンが2ドル以上する今、1ドルでは半ガロンしか買えないではないか。あるいは、遠慮して1ドルと言えば、5ドルくらい恵んでもらえるとでも、思っているのだろうか?
なぜ、1ドルなのだろう?相手の心境がうまく、捕らえられない。あせりだす自分がよくわかる。
とっさに、今、自分には現金の持ち合わせがないというと、男は眼をふせながら、歩き出した。まだ、心臓がドキドキしている。 私のお財布はどこだったかしらなんて、あたふたしながら、確認している。
娘がこのやり取りを車の中から見ていた。ガソリンの給油中、ドアはロックされたままだった。
そんなことはないと笑う人もいるだろう、だけど、ここはアメリカ。交差点で止まってるだけで、カージャックの被害者にもなりかねない国。もし、その男がロックされてないドアに手を伸ばし、娘を引っ張り出したら、どういうことになっていただろう?
他の人からお金をもらったのだろうか、男が、少し離れたポンプで給油を始めた。一方、私は給油を終え、車に入り、エンジンをかけながら、ドアにロックをかけた。 近くを通りすぎた時、男がうつろな目で私たちの車を見ていた。
昔、住んでいた柄の悪い地域では、食料品店の外でたむろしているホームレスがいて、いっつも、金をくれとせがまれた。
彼らは食べる物がないといいながら、ビールの缶があたりに散乱していたりして、ビールを飲むお金があっても、食料を買うお金がないというのだろうか?
ガソリンスタンドを去りながら、いろいろなことが頭によぎる。もしかしたら、本当に、ガソリン代が欲しかっただけなのかもしれない。しかし、サルベーション アーミーの募金のバケツですら、ひったくられる昨今でもある。
この、男性にどういう意図があったか、はかりしれない。でも、ウチでは、ウチの金銭事情だけで精一杯というのも、真実だ。神様も、ウチの事情は分かってくれるだろうと、信じたい。
車の中で、娘とこの事件について語りながら、しばし、良心の呵責を感じたのは、なぜだろう。

7 Comments:
私も一時期ポリスの少年課とか消防団の慈善事業とかの電話が一日に何度もかかってへきへきした事があります。
ある日などは「昨年と同金額かそれ以上にして下さい」などと厚かましさを増して、もう私はその場で電話を切った事もありました。沢山苦情が出たものか最近はこの寄付金依頼コールが無くなりました。
各ご家庭、各自にはそれぞれの事情というものがあります。どの人にも、どの生活にもその時、その時に各自の思いや、事情があるのが当然です。
私も自分が出来る時、そうしたいと思う時には自分の意思をもってするのであって「出してください」と半ば強勢されての募金は大嫌いです。
何かをして上げたい、しようという気持ちはとてもパーソナルな事であり、決して見返りを考えての行為でもないのですから、そのパーソナルな領域での自由を束縛する外力を私は決して善しとしません。
慈善を掲げて人の心の自由を奪う行為はそれ自体は悪行であると私は信じています。
私もChaChaさんと全く同じに考えます。
無論、その時の事情や相手によってのとっさの判断もありましょうが、ホームレスや物乞いにお金を渡すのが果たして得策とは決して思っていません。
我々人間として本当の意味で人を助けるというのが漠然とした物である限り、人を助けたいと思う気持ちがChaChaさんの良心の呵責となったのは痛いほど解ります。
久し振りにお邪魔します。
電話での寄付もさることながら、お子様方の学校の寄付も多いですよね。子供に求められると、やっぱりNoとは言えないし、ちゃんと勉強できる環境を整えてあげるのは私達大人の役目ですものね。
目的がはっきりしている寄付であればできるだけの事はしてあげたいと思いますが、電話での寄付の依頼は私も好きじゃないです。
それと猫や犬を使って、物乞いしているホームレスはずるいですね。いろいろな事情でホームレスをやってる人がいると思いますが、結構稼いでる人も絶対にいるはずですよ。TAXフリーだし…。
この時期寄付の依頼しかも、なんだか使途が分からないものお願い多いですよねぇーー。私は興味ありません。ときっちゃいます。
養護団体だといっていつもいる道に立ってる人に寄付を断ったら、「アジア人はお金持ってるくせにケチだな」といわれたことがあります。
本当に必要な人がいるのなら、数ドル程度ならあげてもいいのですけど、本当に必要なのかどうか、お酒買いたいだけじゃないの?お財布出したら、それごととろうという気でしょとかんぐりたくなってしまいます。
で、結局いつも寄付しないんですけど、もし私が少し分けてたら、バスに乗れたのかな?と思うと少し後悔もありますけど・・・・。
たかが1ドルって思う人もいるかもしれませんが、なんで見知らぬ怪しそうな人にお金を寄付しなければいけないのだろうって私も思います。
でも、アメリカはやっぱり危険な国だから1ドルあげなかったことで、怪我をしたりするのも問題ですよね。
慈善団体から電話はかかってきませんが、電話販売みていでちょっと嫌ですね。
毎回、物乞いの人がいると夫は避けて通ります。(心が痛むから見たくないと言います)私は、我が家も色々と大変なんですといつも心の中で言い訳をしたりして・・・・。お金はあげなくても心に思うことはあるんですよね。
年末はどの国も募金が盛んなんですね。
私も普段はyumeさんのように「興味ありません」とお断りするのですが(やはり身元も分からないし、慈善団体が本物かも分からないですよね。)一度「興味がないってどういうこと!」とプンプンされたことがあります。
うちは毎年旦那と一緒に慈善団体を決めてうちで出せる額の寄付をすることにしています。
、なので、家の前に来て寄付をせがまれても出すつもりはないし、出さなかったからといって怒るのもフロリダの風さんのおっしゃるように「悪行」だと思うのです。
それでも良心の呵責はいつもつきまとうんですよね。
でも、それを言ったら自分の生活も危うくなってしまう。難しいバランスですね。
こんにちわー
私も大学に通っていたときは、通りに必ず移民風の少年くらいの男性が座って、帽子を置いてました。日によっては違う男性が座ってることもありました。この男性の前を通り過ぎるときはいつも、「寄付したら?コーヒー1杯分の幸せくらいわけてあげてもいいじゃない」という声と「でも、体は丈夫そうなのに、自分で働ける努力をすればいいのに」「ほんとはこういう少年を使って寄付を集める組織がいるのでは?」とか、、、もういろんな考えが駆け巡って、彼の姿を見つけてから通り過ぎるまでほんの10秒くらいのものなのに、ものすごーーい長く葛藤を感じてました。帰りもその道を通る度に、悶々と考えてしまったり。
フロリダの風さん、
以前は自分の教会を通して、必要な方に、募金をしてました。実は、私自身、必要になってしまった時期があり、これ、離婚の時期で私自身、ホームレスのようだったのですが、教会の方がたが下さったお金がどんなに貴重であったかは、お礼をしても、仕切れないくらいで、よく、そのありがたさは嫌というほど、分かるんですが。。。
やっぱり、強引にでられると、ちょっと、嫌になるのよね。
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Bumpkinさん、
あぁ、そうそう、学校への寄付もきますよね。子どもと動物をだされると、ついつい、弱くなってしまうのだ。(笑)
そういえば、このあたりでも、なぜか、犬をつれているホームレスが多いのですよ。あれは、何なのでしょう???
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Yumeさん、
えー、アジア人ってお金もってるかぁ???持ってるかも知れないが、ウチは貧困よー。
まぁ、ホームレスというほどではないがね。。。。あー、宝くじ、当たらないかしら。(笑)
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Kiraさん、
アメリカでは、最近法律で電話販売お断りのリストに載っている番号には、電話販売の電話がかけられないようになってるんですよー。
でも、これって、政治的勧誘とか、慈善団体の募金は対象にならないということで、選挙前とか、ばしばし、かかってきますね。
たしかに、ホームレスになった人には、それなりに事情があるのでしょう、助けてあげれれば良いと思うのですが。世界中の人は助けられないしね。やっぱり、せめて、ウチの家族がホームレスにならないように、がんばれば良しとしますか。。。
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Busukeさん、
ハリケーンがルイジアナを通った後、被害者を助けると言って、お金を集めてたグループがフロリダにもいましたよね。
結局、ウソだったそうで。。。ちょっと、哀しいです。私は、やっぱり、ウソでしょう、と思っていたワケですが、結構、助けた方がいたそうで。。。。
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Wakakoさん、
子供を使ってというのは、ちょっと、哀しいですよね。ほんと、どこかに、そういう組織でもあるんではないかと思ってしまいます。
私も、Kiraさんのだんなさまと同じで、見ないようにして、通るのですが、この話に出てくる方は、私に近づいてきたので、ますます、怖くなってしまいました。
この、時期は、お金に飢えている人もいっぱいいるようですし、自分の身の安全も気をつけたいものです。
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