12/29/2005

Bye Bye '05

あっと言う間に、今年も終わり。ふぅー、いろいろあったなぁ。さて、今年の目玉は?

7月にダンナと娘をつれて、日本に帰った。娘は4歳のときに、1年だけ日本に住んでいたことがあり、すでに、日本には数回訪れているが、ダンナは今回が初めて。

ダンナとウチの家族の対面は、今回、初めて。すごい、心配だった私。兄は少し英語が話せる?が、話せるといっても、単語くらい。母親はぜんぜん、英語ダメ。

それでも、何とか、気持ちというのは通じ合うようで、実は今回は、あんまり私が通訳をかってでなくても、なんとかなってた。身振り、手振りで話し合いながらも、結構、うまくいっていた彼ら。

ただ、惜しいのは、ダンナと付き合い始めたころは健在だった父が、今はいないこと。父、2003年に癌で亡くなった。あ、でも、きっといたら、すごい喜んでいたことだろう。

父は私の娘のことが、大好きだった。私が一年間、前ダンナと別居して日本に住んでいたときも、目にいれても痛くないほどで、どこへでも彼女を連れ歩き、いつも孫自慢をしていた。

私が小さい頃、単身赴任しなければならなかった父。私の成長を目にすることができなかったのが、引け目に思えるらしく、娘をダブルでかわいがっていた

娘のことだけはよく面倒を見るように、というのが、私たちの離婚に際してのお達しだった。このお達しは、いまだに守られてるよ。天国でも、安心していてね、お父さん。

さて、今回は、1週間しか日本に滞在できず、その短い間も、役所関係と銀行などの書類仕事に追われ、いろいろ、観光できなかったのが、ちょっと残念。

日本を離れて14年、国際結婚、国際離婚、そして、国際再婚なんて、してしまうと、それこそ、戸籍がめちゃくちゃ

まして、半アメリカ人の娘の日本戸籍までとなると、もう、ほとんど、ロケットサイエンティストでもなければ、考えが及ばない。でも、やっと直してきたので、もう心配することはなし。ホッ。。。

さて、唯一、観光らしいことは、横浜のランドマークタワーに行ったこと。このビル、69階で、世界でも有数のスカイスクレイパー。遠くまで、いろいろ見える。

高村光太郎が智恵子抄で”東京には空がない”と書いていた(?)。田舎育ちで、周りは放牧地ばかりのところに住む我ダンナ曰く、”日本には空き地が無い”。

下の写真、実は、横浜の地元の小学校を、ビルからズームで撮ったもの。なんと、

小学校の屋上にスイミングプール????

よく見ると、プールの周りに子供もいるではないか。これには、びっくり。そうね、日本は確かに土地がないからね、でも、プールの水、どうやって替えるのだ???


12/25/2005

Christmas Morning

今年のクリスマスは、娘がアトランタで彼女の父親の家族と過ごすことになり、大規模なクリスマスディナーはしないでもよいのだー、なんて、うかれていた私が間違っていた。

クリスマスイブ、突然、一人住まいのお隣の男性がウチにクリスマスの食事を食べに来ることになったのを知った私。。。

どうせ私たちと義父だけだから、なんてあんまり食料を買い込んでいなかった私は、実に不安。ハム、ポテトサラダ、グリーンビーンズ、マスタードグリーン、ビスケット、キーライムパイ。 足りるかしら??

さて、お客様、それも、男性がもう一人なんて増えると、ちょっと不確。。。しかし、クリスマスイブの9時には、いつもならあてになるWalmartさえ、今晩は閉まってるハズ。。。。

クリスマスの朝はやく、ダンナはまだ寝ている。新聞を買いにガソリンスタンドまで出かける。ガランとした、道がなんとなくヘン

カウンターの向こう側、キャッシャーのお姉ちゃんは、”なんでこんな朝に私が働かなくちゃいけないの?”って感じで、あくびをしながらぶっきらぼう

新聞を買って、藁でもつかむ思いで、町まで行ってみる。もしかしたら、開いているお店あるかも???

途中のカソリックの教会ではミサが始まっているのか、すでに、駐車場はいっぱい。こんな、田舎町だから、やっぱり、信仰心の強い人も多いのだろうか。これ、朝の8時前なのに、ちょっと異様

町の中心にあるスーパー、Winn-Dixie、あら、開いている。さすがに、店員も買い物客も、普通の日に比べると、少ない。

いるものだけ、とりあえず探して、支払いへ向かう。レジの後ろにいるのは、サンタさんの帽子をかぶったお兄さん

”I cannot believe you are open, this morning." と私が言うと、”I cannot believe I am working."という答えがかわいそう。

思えば、ウチのダンナが警察官をしていたときも、刑務所で働いていたときも、クリスマス出勤。最近では、日本でも元日にマクドとか開いてるから、アメリカでもクリスマスに開いているお店があってもおかしくないのかも??

いずれにせよ、クリスマスに働きにでかけた方、お疲れさまでしたぁ

12/24/2005

Santa Claus is Comin' to Town!



サンタさんの長い旅がいよいよ始まったようだ。

面白いサイトを去年見つけたので、ちょっとご紹介。

ノーラッドという組織がサンタさんが現在、世界中のどこを旅しているか、追跡すると言うもの。

http://www.noradsanta.org/index.php

ちなみに、英語だけでなく、イタリア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、おまけに、日本語まである。

各国語で書かれたページには、これまた、どうしてサンタを追跡するのかとか、どうやって追跡するのかとか、まるで、ちょっとした秘密司令部のような追跡様が書かれていて、なかなか興味深い。

最新映像ビデオもあるから、小さなお子様に、サンタさんが本当に来るんだよという感じで信じ込ませるのも良いかも。。。

リアルタイムで、この日しかみられないので、クリスマスイブにぜひぜひお試しあれ。

12/22/2005

雪だるま フロリダ編

このあいだ、$1屋さんにいったら、面白い物が売っていた。マシュマロでできた雪だるま。同封されたフードカラーリングのペンで、雪だるまに絵が書けるので、自分で好きなように、ドレスアップさせられる。

早速、キッチンのテーブルで、昨晩、娘が何かをやってると思ったら、やってた、やってた。娘が雪だるまにペイントしてた。

フロリダでは、ほとんど、雪が降らない。確か、私が知っている限りでは、一回だけ。前ダンナと結婚した年と覚えているから、1989年のクリスマス。

10歳の娘はなおさら、本物の雪など、見たこともない。

ということで、娘のつくったのは、フラガールの雪だるま。ちなみに、フロリダにフラガールはいないけど???まぁ、ハワイもフロリダも同じくあったかい土地だということで、許しておくか。

あら、ビキニトップと、グラススカート、お花を髪にさしてと、なかなか、ユーモラス。

英語では、雪だるまはsnowman。でも、最近のアメリカでは、なんでも、political correctnessが騒がれているから、彼女はsnowwomanだね。

作った後、作品の産みの親としての絆ができちゃったのか、食べちゃダメだよと娘が言うので、いまだに、ビニールの袋に入っている彼女。

さて、今朝のフロリダは雪とまでいかないが、ちょっと寒くて、-3度まで下がった。このhula girl のsnowwomanはサバイバルできるのだろうか???

12/20/2005

良心の呵責?

どうも、クリスマスの頃というのは、募金を頼みやすい時期らしい。街中は、恵みの雰囲気につつまれ、お財布の紐もついゆるみがち。 救世軍の社会鍋もこの時期の風物詩。

いえ、決して、この他人に恵むという行為にケチをつけてるワケではない。私のクリスチャンの考えからすれば、この、自分の持っているものを分け与えるという行為は、確かに美しい。

だが、たとえば、料理中とか、子供の宿題を見てる時とか、唯でさえ忙しい時間に、勝手に頼みもしないのに電話をかけてきて、やれ、○×団体に募金をお願いしますとこられると、ついつい、不機嫌になってしまう私。

特に、今年は、大きな出費がかさみ、おまけにダンナも仕事変えにより、ちょっと給料がさがったので、我が家は不景気ぎみ。

”今年はカンベンしていただきたい”、と丁寧に断ると、なんと、いくらなら払えるのか、1ドル、5ドル、10ドルから払うこともできると来る。私の拒否の言葉のどこが、分からないというのだ???

ちょっと、頭に来て、もう絶対電話はしてくるなと怒ってしまった。おまけに、そちらの○×団体の名前はしっかり覚えたから、これ以後、ぜったい寄付はお断り、とまで、きっぱり、捨て台詞。

このやり取りをきいているダンナが思わず、ふき出している。なになに、私の怒りようが、アメリカンナイズされていると???ちょっとー、まだ、怒ってるんだからねー。

さて、イタリアのジプシーの物乞いについて、Kiraさんが12月20日付けの記事で書いていたが、同じようなことが、私にも起こった。

私は、普段、現金は持ち歩かない。ひどい時は10歳の娘の方が現金を私より持っていて、現金が必要なときは、貸してくれることもあるほど。99%の買い物は、カードで支払う。

さて、昨日、ガソリンスタンドで給油中、例のごとく、ポンプでカードの支払いをしていた時、近くに止まっていた車から、男性が歩いてくるのが、眼の端っこで見えた。

くたびれたシャツと汚れたパンツ。形を失ってしまったベースボールハット。私の隣にきて、ガソリンを車に入れるのに、1ドル、くれと言う。

この1ドル、というのが、やっかいだ。1ガロンが2ドル以上する今、1ドルでは半ガロンしか買えないではないか。あるいは、遠慮して1ドルと言えば、5ドルくらい恵んでもらえるとでも、思っているのだろうか?

なぜ、1ドルなのだろう?相手の心境がうまく、捕らえられない。あせりだす自分がよくわかる。

とっさに、今、自分には現金の持ち合わせがないというと、男は眼をふせながら、歩き出した。まだ、心臓がドキドキしている。 私のお財布はどこだったかしらなんて、あたふたしながら、確認している。

娘がこのやり取りを車の中から見ていた。ガソリンの給油中、ドアはロックされたままだった。

そんなことはないと笑う人もいるだろう、だけど、ここはアメリカ。交差点で止まってるだけで、カージャックの被害者にもなりかねない国。もし、その男がロックされてないドアに手を伸ばし、娘を引っ張り出したら、どういうことになっていただろう?

他の人からお金をもらったのだろうか、男が、少し離れたポンプで給油を始めた。一方、私は給油を終え、車に入り、エンジンをかけながら、ドアにロックをかけた。 近くを通りすぎた時、男がうつろな目で私たちの車を見ていた。

昔、住んでいた柄の悪い地域では、食料品店の外でたむろしているホームレスがいて、いっつも、金をくれとせがまれた。

彼らは食べる物がないといいながら、ビールの缶があたりに散乱していたりして、ビールを飲むお金があっても、食料を買うお金がないというのだろうか?

ガソリンスタンドを去りながら、いろいろなことが頭によぎる。もしかしたら、本当に、ガソリン代が欲しかっただけなのかもしれない。しかし、サルベーション アーミーの募金のバケツですら、ひったくられる昨今でもある。

この、男性にどういう意図があったか、はかりしれない。でも、ウチでは、ウチの金銭事情だけで精一杯というのも、真実だ。神様も、ウチの事情は分かってくれるだろうと、信じたい。

車の中で、娘とこの事件について語りながら、しばし、良心の呵責を感じたのは、なぜだろう。

12/18/2005

つかまえたぞ、Gingerbread Boy


スウェーデンから”08”を書いているMinakoさんが12月15日付けの記事でかいてジンジャーブレッドのお家のコンペティションについて書いてた。これは去年の話だが、上の写真は娘とつくったジンジャーブレッドのお家。

アメリカでは、子供の本で”The Gingerbread Man”というのがある。小さなジンジャーブレッドのクッキーが人や動物から走って逃げる。とても速く走るので、誰もつかまえられない。しかし、最後に川まで来て立ち往生、渡すのを助けると言った悪賢いキツネに食べられてしまうという話。
"You can't catch me, I am a gingerbread man!!"と言うので有名なフレーズ。子供の映画、Shrekに出てたGingyから知る人もいるかな。
ちなみに、私たちのお家の前には、このGingerbread Boyが二人も立っている。彼らも、2週間ぐらい部屋に飾られた後は、私たちに最後は食べられてしまった。

さて、お店で購入したキットを開け作業開始。クッキーでできた壁と屋根、アイシング、キャンディー、すべて必要品は箱に入っている。

まず壁をアイシングをノリがわりにして、くっつけてゆく。これは簡単。しかし、問題は屋根をのせるときに起こった。

屋根も、壁と同じくアイシングで固める。しかし、屋根の傾斜が強いため、アイシングでつけても、屋根自体の重さで屋根がずるずると滑り落ちてくる。

キッチンのテーブルでジンジャーブレッドのお家の屋根を押さえる二人。じーっとこのまま、待つこと、なんと、50分。

途中で、ダンナが出てきた。キッチンのテーブルで静かにジンジャーブレッドのお家を支える私たちをみて、怪訝そうに、何をやってるのか聞く。ジンジャーブレッドのお家をつくってるんだというと、押さえてるだけだねと。まさに、そうなのだが。ちょっと、ちょっと、戻ってきてよー、なに、手伝ってくれないのー???

ふぅーーーー、疲れた。やっとお家が固まった。次はデコレーション。これは残ったアイシングとキャンディーで。娘がデコレーションの主任となり、30分ぐらいで終わった。

結局、作業開始から、終了までで、なんと、2時間ぐらいかかってしまった。”こんなに時間がかかると知っていたら、絶対、やってなかったねー。”さすがの娘も一言。だから、今年は、やってないのだ。

このお家、デコレーションのキャンディーから、壁から、屋根から、全部食べられるのだ。もちろん、キットが10ドルぐらいしたので、無駄にするのも惜しいから、全部食べた。もちろん、全部食べるのには、1週間ぐらい、かかったのだ。

12/15/2005

Code Adam

コード アダムは、子供の安全を守るプログラムで、アメリカで大手の小売店などで全国的に導入されている。Walmart、K Mart、Targetなどの入り口でこういうサインを見た人もあるだろう。

子供が店内でいなくなったとすると、この、コード アダムが店内に警告される。迷子の年恰好が特別に配置された店員に知らされ、店への出入り口をモニターするとともに、 店内を通路ごとに捜索。10分経過しても、見つからないときは、警察をよんでの捜索が行われる。

コード アダムの”アダム”は1981年にフロリダのデパートから誘拐され、後に死体となって発見された6歳のAdam Walshにちなむ。この男児の父のJohn Walshは、"America's Most Wanted"と言う番組の司会者でもあり、子供を失った無念がいまだに犯罪と戦う姿勢とつながっているようだ。

さて、クリスマスう商戦も終盤に入り、昨晩のWalmartは平日でも、ごった返していた。店内で泣き叫ぶ赤ちゃん、はしゃいで駆け回る子供たち、電気製品のコーナーから流れてくる大音量の音楽、あちこちで立ち止まっては交わされるクリスマスの挨拶。

私と娘はやっと買い物を終えてレジを離れ、入り口に向かって歩き出したその時、少し離れたレジで会計をしていた女性が子供の名前を呼び出した。

彼女、10回くらい立て続けに呼び、その最後の方は大声で叫ぶようだったので、あまりの異常さに、私たちも立ち止まり振り返った。その時、その女性が泣きそうな声で言ったのが、私たちからもはっきり見えた。

”I can't find my daughter.”

彼女はすでに、半狂乱。どうも、レジに並んでいる間に、迷子になってしまったらしい。その時、近くにいた男性の店員が言った。

”Call Code Adam.”

キャッシャーが店内電話でセキュリティーに電話をすると、あっという間に、無線を持ったセキュリティーの女性が小走りで来た。女性に子供の年恰好を聞いている。5歳の女児、茶色のストレートの長い髪の毛、黒いジャケット、アニマルプリントの襟。これまたあっという間に、セキュリティーの女性は無線で情報を伝達しながら、走り去った。

女性が商品を袋づめにする台に登っている。ちょっとでも、高くなれば、子供が見えるかもしれないという一心だ。今まで、うるさかった店内が嘘のように、静かになった。

待つこと、数分。これが、とんでもないぐらい長く感じる。

”I found her! I FOUND HER!!” 遠くで叫ぶ声が聞こえた。

店員と女児が女性の所に歩いてきた。店内にいた人が拍手をしている。女性が涙を流しながら、女児を抱きしめている。事情のわからない女児が、キョトンとして母親を見ているのがかわいい。

外に出ると、違う出口から出てきた彼らが、車に向かっていた。女性が女児の手をしっかり握り、まだ涙を拭いているのが見えた。

フロリダのローカルチャンネルのニュースでは、13歳の男児が公園で遺体で発見された。犯人はまだ、捕まっていない。日本でも、ここ最近、子供が誘拐されて遺体で発見されたというニュース。

子供をもつ親にとって、こういうニュースはまったく悪夢。買い物に行くときは、絶えず、子供から眼が離せない。まして、子供が小さいなら、なおさらだ。

ついつい、クリスマスの忙しさにまぎれて、気が散漫になりがちである今日このごろ、お互いに、安全については、気をつけたいもの。

12/11/2005

パレードが来たよ!

土曜日は町のクリスマスパレード。ウチの町は小さいけど、結構、多くのグループが参加申し込みをしたそうで、なんと、100近くのグループが集まった。

さて、年寄りのグループあり、

おごそかに バグパイプを吹く者あり、
格好いいおまわりさんのグループもあり、
熊のSmokeyさんや、
なんか、怪しげなピエロさん達のワゴンとかも。。。
さて、娘のバトントワーリングのグループもパレードに出まして、
実は、このマクドナルドのドナルドおじさんの前だった。

2キロほど、娘のグループと歩いた後は、さすがに疲れたーと言う感じ。。。幸いにも、天候にめぐまれ、多くの観客が道端にパレードを見にならんでた。

12/07/2005

Pearl Harbor Remembrance Day

今日、12月7日は、真珠湾攻撃の日。これ、日本では12月8日、というのは、やはり、日付変更線の関係からか。

毎年、地元のクリスマスパレードには、”Remember Pearl Habor!!"なんて書かれたバナーを掲げて歩いている退役軍人のグループもある。日本で捕虜をしていた方もいるそうだ。戦後生まれの私でも、穴があったら入りたい。

さて、1941年、母は当時、9歳。戦時中は灯火管制で電気がつけられなかった。食べ物の買出しに 遠くまででかけ、お金もないので祖母のよそ行きの着物を農家の人に売って、やっと食料を手にいれた。

戦争が始まって英語の授業が一切なくなった。学校の一角にある小さな祠の中には天皇陛下(当時のですから、昭和天皇)の写真が入っていて、その前は頭を下げて通らなければいけなかったと言うから、まるで、生き神。皇室が一種のロゴのようにシンボル化してしまった今では、とっても信じられない。

授業中でも空襲警報がなると、外にある土豪まで走って逃げなければならない。年の割りに小さかった母は、走るのが遅くて気がつくと最後になってしまった。

やっとの思いで土豪の入り口まで走り、ふと後ろを振り返ると、ずっと離れたところを一人の級友が走っている。空には銀色の飛行機が数機すでに見え出して、砂埃からすでに銃撃が始まっているのが分かった。

土豪にいる多くの人たちを、危険にさらせてはならない。戸惑いながらも、母は土豪の蓋をしめたそうだ。警報が回避され、土豪からでてくると、30m離れたところに、級友が倒れて、息を引き取っていたとのこと。あと少しあったら、土豪まで駆けてこられたのにと無念。

当時は、体育の時間に、竹やりの武器訓練や、防火バケツリレーもやったそう。これ、今では、笑えるが、一般人、それも女性や、子供まで巻き込むとは。。。。

母の住んでいた横須賀は今でも軍港で、戦後、進駐軍の軍人さんがトラックからチョコレートを投げたそうだ。中学生ぐらいの年で、学校の帰りに路地ですれ違った進駐軍の軍人さんの赤ら顔と青い鋭い目がとても怖くて、目をあわせないようにしていたそうだ。

さて、その横須賀に駐在していたアメリカ海軍の軍人と結婚してしまった私。それでも、家族はちゃんと私たちを祝福してくれた。 その元ダンナも、新婚そうそうで、湾岸戦争に行き、9ヶ月間、ほとんど音信普通のような状態はつらかった。

娘の学校では、今朝の校内放送は真珠湾攻撃の日についてだったそうで、今日は一日あまり目立たないようにしていたそうだと言う娘が、かわいそうでもあり。

世界のどこかで爆弾が破裂するような毎日に、終わりが来るのはいつだろう。

12/05/2005

人生の取り組み方


体と言うのはおもしろいもので、結構、うまく慣れてしまうらしい。アメリカに帰ってきてもなぜか、ふらふらと、まだ船に乗っているように目が回って、気持ちのわるい数日を送った。 もう、しっかりした陸に立っているのだからと思っても、体の方はうまく対応してくれないわけ。

今は、たまりにたまった洗濯物と大格闘中の私。それにしても、クルーズ中の5日間は、まったく家事と縁がなくて、主婦の私としては、まるで楽園にでもいるよう。

毎朝、ハウスキーピングの人が来てベッドをつくってくれるし、食事の心配などしなくてもシェフが三食フルコースでつくってくれるし、ウェーターがちゃんと食事を用意して片付けてくれる。食べ放題、飲み放題。極楽、極楽。

こういう生活ができたのは、確か、前回のクルーズを除くと、娘を産んで入院してたときだけ。アメリカでは日本と大違いで、健康保険の関係で、産後すぐ退院させられてしまうから、それも、数日だけだった。

一日、一人10ドルのティップ、ダンナ、娘、私と、5日間で合計150ドル。これが、安いのか、高いのかは別として、とにかく、今回の船で働く人のサービス度は抜群。 こういうのは、指ひとつあげず、さぼるのが美徳とされるアメリカ人には、とてもできない。

と、思いきや、気がつけば、なぜか、皆さん、インドネシアから来た人ばかり。まさか、インドネシアにはホーランドアメリカ社のリクルーターがうじゃうじゃいて、現地で社員を勧誘でもしているのかな???

私たちのテーブル担当だったDadangさんは、船で働き出して4ヶ月という20歳代の男性。いつも、にこにこ、てきぱきと仕事をしている。彼、朝、7時の朝食にはすでに働いている。お昼を食べに行けば、これまた、働いている。もちろん、ディナーも働いている。あんまり、顔をあわせることが多いので、この人、いつ休みとってるんだろう?という感じ。

聞いてみると、朝6時くらいに仕事をはじめて、夜、自分のキャビンに帰るのは、夜中の12時くらいとか。昼間は数時間づつ交代で、休憩がもらえるとか。なんか、それも、もらえるときだけみたいで、結構、働き者の彼は、仲間が忙しい時は、ついつい手伝ってしまっているらしい。

さらに、1年間ストレートで船で働き、この1年のあとに、数ヶ月の休暇がもらえるとのこと。Dadangさんの場合、まだ働き出して4ヶ月目なので、休暇がもらえてインドネシアに里帰りするまで、あと7、8ヶ月はこのまま働き続けなくてはならないとか。

インドネシアには2歳になる息子と、嫁がいる。彼の人生計画では、この1年働いて数ヶ月休暇というのを、5年続けると、はれて、インドネシアに帰れて、家族全員で暮らせるという。つまり、5年間だけ我慢して身を粉にして働けば、それなりの財もできて、インドネシアで楽に暮らせるということか?

コスタマヤに上陸した日、朝2時間だけ休みがもらえたそうだ。昼寝か、探索か?彼のチョイスは町の探索だった。初めてのコスタマヤ。お土産に何を買ったのと聞くと、土地の名前の入ったマグネットを買ったと言う。クルーズ中、行く先々で買うマグネットをコレクションにしてるそうだ。さて、5年間でどのくらいのコレクションになるのだろう。

あまりの働きっぷりのよさと、これまた涙がでそうまでにけなげな、彼の人生への取り組み方に、あえて、応援せずにはいられない。彼のつたない英語を聞きながら、なれない土地で家族と離れ離れに暮らしながら、一生懸命に毎日働く姿をみて、なぜかこちらまで、少し元気がでてくるようで、今は感謝の念でいっぱいだ。Dadangさん、体に気をつけて。。。こんど、家族と会える日までがんばれるよう、お祈りしてるよ。

12/02/2005

コスタマヤ印象

5日間のクルーズを終えて、無事にアメリカに帰ってきた。

3日目に訪れたコスタマヤ。南部出身の私たち、暑さには結構なれていると思ったら、大間違い。やはり、メキシコは暑かった。それも、湿度が高い。日射も強い。一日、歩きまわって、船に帰ってきたら、しっかり日焼けしてた。

さて、コスタマヤの印象。やはり、メキシコの町だけに、治安が悪いのかな?私たち、バスで15分くらいのダウンタウンに行ったのだが、町の入り口に、警察官が立っている。下の写真ではちょっと見えにくいのだが、この警察官たち、フル装備、ピストルだけでなく、マシンガンも持ってるのだ。バスの窓から、写真撮ろうとしたら、しっかりにらまれたので、怖くなって、写真は断念、遠写のみ、ご勘弁。

後で、このあたりに詳しい人に聞くと、このあたりの警察官は英語を話さないそうだ。観光客がトラブルに巻き込まれたらどうするのだと言う感じだが、政府が警察官に対する英語教育に資金援助しないので、彼らは、ますます英語を話すのを拒んでいると、言えなくもない。

ちなみに、警察官の後ろに写っているバスが私たちの乗っていたバス。一人あたり、片道3ドル。これまた、とんでもない、オンボロで、のっているうちに車輪が取れるのではないかと心配だったくらい。

さて、このあたりの店は観光客向けのきらびやかなものではなく、テントみたいなものの中に、テーブルがあって、その上に、いろいろなものが並んでいる。ポンチョやら、毛布やら、綺麗だけど安物の陶器。これは、フロリダでもよく見かける貝やビーズでできたネックレス。安物の銀製品。

このあたりでは、平気で値切りができる。さて、35ドルぐらいで売られていたポンチョ、ダンナが値切って20ドルまで下がった。私としては、もともと、20ドルぐらいじゃないかなと思ってるんだけど、普通の観光客としては、どうも、値切って買ったから安いという感じらしい。もともと安物に、とんでもない価格をつけているメキシカンにちょっと疑問なのは、私だけらしい。

とにかく、客引きがすごい。なにしろ、道まで出てきて、見るだけでいいから、店に入っていってくれと言う。うーむ、面倒くさくなってきた私は、英語の分からんふり。バハマに行ったときもそうだったが、こういう強引な客引きはどうも、好かないので、こういうときだけ、日本語onlyの外国人で、しっかり、無視。

それでも、メキシコの陶器は色が綺麗。手にとって見ていたら、25ドルだと言う。内心、これは、10ドル以下という感じ。25ドルも持ってないといったら、じゃぁ、いくら持ってるのと聞いてくる。10ドルしか持ってないと言ったら、10ドルで売ってくれると言う。でも、帰りのバス代に2ドルいるから、実は8ドルしか使えないといったら、これまた、10ドルとしつこい。じゃぁ、いいよってテーブルを離れたら、追いかけてきて、8ドルで売ってくれると言う。私自身、こういうやり取りにいらいらしながら、メキシコ人というのは、こういうやり取りを楽しんでるのではないかと一瞬思う。とにかく、人なつっこい。

これは、彼らの店の裏にある家。庭にある5台の子供用の自転車から、子供が多いのが推測される。古い型の車、電気や水道はあるのだろうか。トタン屋根、丸木の壁、とても、小屋にしか見えないが。。。。こういうところで、育った子供たちは、将来どういう、夢を見るのだろうと考えさせられた。